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霧島温泉霧島国際ホテル(3) [霧島温泉霧島国際ホテル]

朝食はバイキング。夕食と同じ3Fの食事処へ。7:00~9:00の間に行きます。
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そんなに種類が多くなさそう…と思ったら、意外と多いです。全部なんてとてもとても…[あせあせ(飛び散る汗)]
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焼き茄子なんかが朝食に出てくるのはちょいとリッチかな。
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黒豚のナンコツ煮と薩摩揚げが角に用意されているあたりは、鹿児島らしさの演出が効いているという感じです。
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いろいろあるなかから厳選してみたら、
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私のプレートは見た目が妙に地味に[たらーっ(汗)] 焼き茄子も地味だし、
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焼き鯖と鯖の昆布巻も地味。
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黒豚のナンコツ煮と薩摩揚げ、そこに麻婆豆腐を置いても、やっぱり地味なわけで。
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あとは小皿にシラスおろしとがんも。
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さらに揚げ芋とキビナゴの酢漬け。
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妻は洋食系にしてみたようです。でも揚げ芋や煮豆なんぞもとってますね。
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食事処からも桜島が一望できました。鹿児島らしさも感じさせるバイキングはかなり満足度高し、といったところでしょうか。


霧島温泉から、前日のえびの方向とは異なり湧水町へ。
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その象徴ともいえる丸池湧水へ。
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日本名水100選にもなっている場所です。キレイな水が湧き上がるシーンは神聖な感じまでするもんですね。その近くに城跡があるので行ってみることに。程なく松尾城に。
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その大手門をくぐり、
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本丸に続く石段を上がります。
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南九州に唯一残る山城の遺構とのこと。苔生した石垣がその歳月を物語るような。
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島津義弘はここから朝鮮に出陣したそうです。島津義弘…あの有名人の居城か、、、などという感慨を夫婦でしみじみ。さらにその近くに東洋のナイアガラがあるそうで。東洋のナイアガラって、日本にはいくつかあるようで、最近テレビで取り上げられたのが大分の原尻の滝、ウチが行ったことがあるのは群馬の吹割の滝。そして今回訪問したのが、
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鹿児島県にある曽木の滝。
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でも水量が少ないのか、どうも迫力は今ひとつ。でも滅多に見られない光景でした。そこからは次の目的地である熊本県の人吉へ。これで鹿児島県とはお別れです。

人吉に着いたらまずは昼食を[soon] 人吉らーめんの元祖ともいわれる好来(ハオライ)へ。
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暖簾が出ていないので外観だけでは営業中なのかどうかわかりませんが、座れて良かった[揺れるハート]
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テーブルには胡椒と唐辛子と、、、、ラー油かと思ったら醤油でした。しょっぱいです。メニューはなくて、ただただラーメンを人数分注文するのみ。
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真っ黒なスープのらーめんの上には大量のもやし。
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チャーシューとキクラゲがのります。それにしても黒いスープだ、、、、でもしょっぱくないのですよ、これが。
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麺は細め。熊本らーめんらしい太さ。そしてあんまりらーめんっぽくない麺。さっぱりしたとんこつスープにこがしニンニクの風味がかほるマー油をあわせたものらしく、見た目とはまったく違うさっぱり感。味が薄いんじゃなかと感じるくらいです。だから醤油があるそうです。
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麺もそんなスープに合うもの。麺の量は結構多かったのですが、さっぱり感故か、それとも単に空腹だったのか、ラクに完食です[グッド(上向き矢印)]
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好来の店内や土産物屋で売ってましたよ、好来のらーめん。有名なのですね。昼食後は人吉の町をぶらぶら。八百屋の店先には晩白柚がぶら下がってました。
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それを横目に、
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青井阿蘇神社へ参拝。
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西南戦争では一時的に西郷軍側の拠点ともなった場所。神主青井家の屋敷や庭園も見学できました。人吉の町と西南戦争との関係は、なかなか複雑なようです。
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その後は鍛冶屋町通りへ。まずは通りに面した味噌・醤油蔵へ。
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釜田醸造所というお店です。
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蔵の中は自由に見学可能。
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店先では味噌や醤油そのもの、あるいはそれらを使った漬け物などが試食可能。もちろん購入可能。
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いろいろと買ってしまった…帰りも飛行機なのに…[たらーっ(汗)]
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お雛様の飾りは町中のいろんな場所で展開中でした。同じく鍛冶屋町通りには、いまでも現役の鍛冶屋もあって、
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その技が発揮されたお雛様も店頭に飾ってありました。そして人吉城へ。
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壮麗な石垣がまだその偉容をとどめています。
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焼酎の銘柄にもなった武者返しが石垣の上に張り出しています。こういう石垣は、他の城ではまぁ見られないでしょうねぇ。
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建物は西南戦争以前にすでに破却されていますが、石垣はそのまま残っていますから、本丸までのルートは目を見張るものがあります。
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城下を見下ろしながら、城跡でまたまた感慨にふけることに。ここから西郷軍は砲撃し、北から城下を焼き払いながら攻めてきた官軍の姿を確認したのでしょうか。そのとき川向こうの城下町は全焼したようです。
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次は翌朝に見学した場所ですが、同じく人吉の城下なので、一緒に。武家蔵という場所。人吉藩相良家の家老屋敷があった場所とのこと。屋敷門は城門が移築されたもの。数少ない人吉城の遺構の一つです。
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敷地内には、藩主の御仮屋が移築されて現在に残ります。
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ここでは毎朝囲炉裏に火が入り、屋敷内を燻す作業が行われています。
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この建物には人吉まで撤退した西郷隆盛が一時的に身を寄せたという説があります。切腹の間の説明や西南戦争の話など、いろいろと解説していただきました。
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庭園を眺めながら、平和な現在が長く続くことを祈るばかりでした。s
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