こぞのはづきをおもふ [いつかのためのたわごと]
これまでの世界を一変させた3・11。あれ以来、何もかもが変わってしまった気がする。
このあとこのブログを継続するとしても、どうにもケジメをつけておきたい…でも何もできず。
それからとうとう1か月弱…去年の8月に出かけた時の写真を改めて見始めた。ここに切り取られたかけがいのない光景はもはやどこにもないかも知れない。胸が締め付けられる。
塩竃神社から望む塩竃港。塩竃市も当然のことながら津波の被害を受けた。神社だけはかなり高いところに位置したが、門前を飾る町並みは、どうなっているのだろう。銘菓「しほかま」で有名な丹六園はどうなったのだろう…あの趣ある建物は…
そして追分温泉近くの釣石神社。落ちそうで落ちない受験生のため?のような石に注連縄。水かさはどこまでだったのだろう。
釣石神社の上から北上川をみれば、集落が堤防道路より低いことは一目瞭然。そして河口がすぐ近くであることも。津波の被害が甚大であったことはいうまでもない。
そんな集落は…去年の9月には豊かな稔りで充ち満ちていた。あの集落の住宅が悉く流されたというのか。あまりに凄惨なその情景を思い浮かべることは極めて困難なのだが…それも現実。
川沿い、堤防上の道路を走ると、北上川の穏やかな流れが、広大な葭原を育んできたことを体感できる。そこには船がたゆたい、そして日本の残したい音風景が生み出された。
美しい音色は今後も響くのだろうか。
そしてこの川からわずかの距離に展開した、とある集落。ここが旅の目的地であった。いたって普通の、田舎の集落に過ぎないその場所。そしてそこに流れる固有の時間。
そんななかに身を置きながら、いろんなことを考えた。そして自家用と思しきトウモロコシや枝豆が、まさに家に隣接する菜園でたわわに実っているのをみて、その素朴な暮らしに引き込まれた。直接売ってくれないかな…などとムシのいいことを思いついたり。でも農作業中のかたにそんなことを話しかける勇気はなく。
この集落も、被害マップを見る限り、相当なダメージを受けたものと思われる。もはや二度とあのような時間を取り戻すことができないのか…それとも…
その集落から堤防上の道路に戻ろうとすると、急坂をあがることになる。釣石神社のある集落と同様、堤防より低い位置に集落が展開したことが実感される。
そして…内陸でも。
川渡温泉にあるこのお宿も建物に被害があった模様。でも4月からは営業を再開しているようです。復興支援のためにも、必ず再訪します。絶対に。このお宿からの帰路に立ち寄った以下のような蔵元。震災の影響はあったのだろうか?無事にお酒造りを続けることができているのか…宮城や福島の蔵元にも頑張ってほしい。また購入します。
いつの日か、確認の旅に出なければ…。そしていまは自らの心を寄り添えて。
地震・津波の被害にさらなる追い打ち、それは原発。汚染水が海水にそのまま出ているなんて…水産物までもか…
そう思っていたら、朝日新聞4月1日の夕刊、素粒子というコラムにこんなことが。
今こそ東京に原発を。東京湾を埋め立てて計画中の12基全部引き受けよう。高速増殖炉や廃棄物処分場も一緒に。電力不足は一挙に解決し核燃料サイクルは完成。二酸化炭素も削減できる。何より福島の人たちの苦労がわかる。そこを「原子力村」と名付けよう。どうですか東電さん、保安院さん。班目委員長、これぐらい割り切ってみては。
コラムの内容は非現実的かも知れないけれども、今起きている事態が、3・11以前は、非現実的として班目委員長がかつて相手にしなかった事態なのだから、このコラム程度のことが想定されてもいいのかも知れない。
そうですよね。やっぱり東京を中心とした首都圏が引き受けるべき課題なんですよね。東京湾に原発が浮かぶと、千葉も湾岸沿いは、素早く被災するな。ウチも逃げるすべはない。諦めよう、そのときは。
こんな記事を書いて内心を吐露しても、何のタシにもならないが、それでも何らかの仕切直しにはなるのかも…そして、次の温泉宿に行ってみようという意欲が少しずつ高まってくる。いまできることを、いまのうちに。とりあえず行ってみたい宿を予約してみよう。そして精一杯楽しんでくることにしよう。
このあとこのブログを継続するとしても、どうにもケジメをつけておきたい…でも何もできず。
それからとうとう1か月弱…去年の8月に出かけた時の写真を改めて見始めた。ここに切り取られたかけがいのない光景はもはやどこにもないかも知れない。胸が締め付けられる。
塩竃神社から望む塩竃港。塩竃市も当然のことながら津波の被害を受けた。神社だけはかなり高いところに位置したが、門前を飾る町並みは、どうなっているのだろう。銘菓「しほかま」で有名な丹六園はどうなったのだろう…あの趣ある建物は…
そして追分温泉近くの釣石神社。落ちそうで落ちない受験生のため?のような石に注連縄。水かさはどこまでだったのだろう。
釣石神社の上から北上川をみれば、集落が堤防道路より低いことは一目瞭然。そして河口がすぐ近くであることも。津波の被害が甚大であったことはいうまでもない。
そんな集落は…去年の9月には豊かな稔りで充ち満ちていた。あの集落の住宅が悉く流されたというのか。あまりに凄惨なその情景を思い浮かべることは極めて困難なのだが…それも現実。
川沿い、堤防上の道路を走ると、北上川の穏やかな流れが、広大な葭原を育んできたことを体感できる。そこには船がたゆたい、そして日本の残したい音風景が生み出された。
美しい音色は今後も響くのだろうか。
そしてこの川からわずかの距離に展開した、とある集落。ここが旅の目的地であった。いたって普通の、田舎の集落に過ぎないその場所。そしてそこに流れる固有の時間。
そんななかに身を置きながら、いろんなことを考えた。そして自家用と思しきトウモロコシや枝豆が、まさに家に隣接する菜園でたわわに実っているのをみて、その素朴な暮らしに引き込まれた。直接売ってくれないかな…などとムシのいいことを思いついたり。でも農作業中のかたにそんなことを話しかける勇気はなく。
この集落も、被害マップを見る限り、相当なダメージを受けたものと思われる。もはや二度とあのような時間を取り戻すことができないのか…それとも…
その集落から堤防上の道路に戻ろうとすると、急坂をあがることになる。釣石神社のある集落と同様、堤防より低い位置に集落が展開したことが実感される。
そして…内陸でも。
川渡温泉にあるこのお宿も建物に被害があった模様。でも4月からは営業を再開しているようです。復興支援のためにも、必ず再訪します。絶対に。このお宿からの帰路に立ち寄った以下のような蔵元。震災の影響はあったのだろうか?無事にお酒造りを続けることができているのか…宮城や福島の蔵元にも頑張ってほしい。また購入します。
いつの日か、確認の旅に出なければ…。そしていまは自らの心を寄り添えて。
地震・津波の被害にさらなる追い打ち、それは原発。汚染水が海水にそのまま出ているなんて…水産物までもか…
そう思っていたら、朝日新聞4月1日の夕刊、素粒子というコラムにこんなことが。
今こそ東京に原発を。東京湾を埋め立てて計画中の12基全部引き受けよう。高速増殖炉や廃棄物処分場も一緒に。電力不足は一挙に解決し核燃料サイクルは完成。二酸化炭素も削減できる。何より福島の人たちの苦労がわかる。そこを「原子力村」と名付けよう。どうですか東電さん、保安院さん。班目委員長、これぐらい割り切ってみては。
コラムの内容は非現実的かも知れないけれども、今起きている事態が、3・11以前は、非現実的として班目委員長がかつて相手にしなかった事態なのだから、このコラム程度のことが想定されてもいいのかも知れない。
そうですよね。やっぱり東京を中心とした首都圏が引き受けるべき課題なんですよね。東京湾に原発が浮かぶと、千葉も湾岸沿いは、素早く被災するな。ウチも逃げるすべはない。諦めよう、そのときは。
こんな記事を書いて内心を吐露しても、何のタシにもならないが、それでも何らかの仕切直しにはなるのかも…そして、次の温泉宿に行ってみようという意欲が少しずつ高まってくる。いまできることを、いまのうちに。とりあえず行ってみたい宿を予約してみよう。そして精一杯楽しんでくることにしよう。
2011-04-03 21:17
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